すべては決まっている
こんにちは、みきです。
夢って、起きる時間にむかってみているという、
謎めいた説を聞いたことがあります。
それは、この世の大まかな流れに通じてると感じますね~。
うたかたの夢ですし。(‘Д’)
知り合いが「アガスティアの葉」に感銘を受けて、
肩に落ちる雨粒の数さえ、決まっている、と言いながらも、
自問続けてる方がいました。
アセンションした今、
大まかな流れは感じやすくなってますよね。
事が動くとき、心の向きが変わるとき、
それは自然の風ように起きます。
そうなったとき、な~あんだと、言うのです。
あれだけ力んでたのが、バカバカしかった!と泣き笑いながらも、
それを繰り返しちゃう。
特にうちの子なんかは、
こっちが力んで接するときは、絶対伸びません。
そうしながら、私のほうも力を抜く要領を学んでいます。
すべてはそういう感じですよね。
狂言をリアルに毎日やってるようなもんですよね。。
先日、ウォーキング前に花壇あたりで羽音がやたら気になりました。
歩いて戻っても、まだ羽音がするので、のぞきこむと、カナブンが
ミゾからでれないでいるのです。
格子の蓋がついているんですが、隙間からは抜け出れなかったのですね。
ああ、早く気づけばよかったね、と、蓋を開けてあげると、すぐ
飛び立っていきました。
飛んでいくカナブンを見て、
ああ、「決まってた時間」にいるなぁと感じました。
そんな時間はゆったりしていて好きです。
蛙も、そういう時間を示してくれるメッセンジャーです。
先日、冬眠明けのカエルとベランダで出会い、
再会の喜びを分かち合っていたんです。
その蛙がうちのベランダから去る時、まるで私を待ってたかのように、
体勢を整え、私の目の前で、裏庭に飛んでいきました。
その後ろ姿を今でもはっきり覚えています。
繁殖が終わったら、またいつか来てほしいな、と思います。
こうやって、自然や虫からのサインを受け取って、
ブログに書くことも決めてきたんでしょうね。
そのために起きる当然のことが、ありがたくてしょうがない。
それは三次元のいいところですね!!